東京地方裁判所 昭和40年(行ウ)71号 判決 1968年4月25日
原告 板橋健
右訴訟代理人弁護士 坂上寿夫
尾崎昭夫
被告 玉川税務署長 大嶌久三郎
右指定代理人 川村俊雄
<ほか三名>
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の申立て
一、原告
「被告が原告の昭和三七年分所得税につき昭和三八年一〇月三一日付でした更正処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。
二、被告
主文同旨の判決を求める。
第二原告の請求原因
原告は、昭和三七年六月までは株式会社文化放送の一部門である日本フィルハーモニー交響楽団(以下「日本フィル」という)に、同年七月以降は株式会社読売新聞社の経営する読売日本交響楽団(ただし、後に財団法人として独立した。以下「読売日響」という)に所属するバイオリン演奏家であるが、昭和三七年中に右日本フィルから一六万一、三九一円、読売日響から三一万五、九〇〇円、日本グラモフォン株式会社から六、五〇〇円、株式会社ユナイトプロダクションから六、一一〇円、株式会社新音楽協会から九、六〇〇円、以上合計四九万九、五〇一円の収入を得たので、昭和三八年三月一二日、その全部を事業所得として、被告に対し昭和三七年分所得税の確定申告書を提出し、その後昭和三八年三月一八日に次のとおり右確定申告書に対する修正申告書を提出した。
収入金額 四七万七、二九一円
必要経費 二五万一、一八七円
所得金額 二二万六、一〇四円
税額 六、九六〇円
源泉所得税控除額 二万六、七二六円
差引還付請求額 一万九、七六六円
ところが、被告は、昭和三八年一〇月三一日、右収入金額のうち、日本フィル及び読売日響からの収入を給与所得とし、その他の日本グラモフォン株式会社外二社(以下「日本グラモフォン等」という。)からの収入を雑所得として、次のような更正処分をした。
給与所得金額 三八万〇、五六二円
雑所得金額 一万六、六五七円
総所得金額 三九万七、二一九円
税額 二万七、二〇〇円
源泉所得税控除額 二万六、七二六円
差引納税額 四七〇円
右更正処分に対し、原告は不服申立期間内に被告に異議申立てをしたが、三箇月を経過したので右申立ては東京国税局長に対する審査請求とみなされ、同局長は昭和四〇年三月二四日請求棄却の裁決をなし、その裁決書謄本が四月三〇日原告に送達された。
しかしながら、本件更正処分は後記の諸点において違法であるから、その取消しを求める。
≪以下事実省略≫
理由
一、原告が昭和三七年六月まで株式会社文化放送の一部門である日本フィルに、同年七月以降は株式会社読売新聞社の経営する読売日響(ただし、後に財団法人として独立した。)に所属するバイオリン演奏家であり、昭和三七年中に右日本フィル及び読売日響から合計四七万七、二九一円、日本グラモフォン等から合計二万二、二一〇円の収入を得たので、これを事業所得として、原告主張のとおり昭和三七年分所得税の修正申告をしたところ、被告が昭和三八年一〇月三一日右日本フィル及び読売日響からの収入を給与所得とし、日本グラモフォン等からの収入を雑所得として本件更正処分をしたこと、これに対し、原告は所定の不服申立期間内に被告に異議申立てをしたが、三箇月の経過により東京国税局長に対する審査請求とみなされ、昭和四〇年三月二四日同局長の棄却裁決があり、その裁決書謄本が同月三〇日原告に送達されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二、原告は、まず、原告の前記収入がすべて事業所得に当ると主張するので、最初に所得の種類について判断する。
(一) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)第九条第一項は、個人の所得をその発生態様ないし性質の如何によって一〇種類に分け、「商業、工業、農業、水産業、医業、著述業その他の事業で命令で定めるものから生ずる所得」を事業所得とし(第四号)、「俸給、給料、賃金、歳費、年金、恩給及び賞与並びにこれらの性質を有する給与」を給与所得とし(第五号)、更に同項第一号ないし第九号以外の所得を雑所得としている(第一〇号)。そして、旧所得税法施行規則(昭和四〇年政令第九六号による改正前のもの)第七条の三は、右の事業所得における「事業」に当るものとして、一一の業種を例示するとともに、その他「対価を得て継続的に行なう事業」と定めているが、そこに例示された業種との関連において考えると、右にいわゆる「対価を得て継続的に行なう事業」とは、自己の危険と計算において独立的に営まれる業務で、営利性、有償性を有し、かつ反覆継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められるものをいうものと解される。これに対し、給与所得は、雇傭又はこれに類する原因にもとづき非独立的に提供される労務の対価として受ける報酬及び実質的にこれに準ずべき給付を意味するものであって、報酬と対価関係に立つ労務の提供が、自己の危険と計算とによらず他人の指揮命令に服してなされる点に、事業所得との本質的な差異がある。したがって、提供される労務の内容自体が事業経営者のそれと異ならず、かつ、精神的・独創的なもの、あるいは特殊高度な技能を要するもので、労務内容につき本人にある程度自主性が認められる場合であっても、その労務が雇傭契約等にもとづき他人の指揮命令の下に提供され、その対価として得られた報酬もしくはこれに準ずるものであるかぎり、給与所得に該当するといわなければならない。
(二) そこで、右の見地から、まず、原告の日本フィル及び読売日響からの収入についてみると、≪証拠省略≫を総合すれば、次のような事実が認められる。
1、日本フィルからの収入について
日本フィルが株式会社文化放送の一部門であることは前記のとおりであるが、同フィルの楽団運営規程によると、演奏団体としての同楽団は、指揮者、正楽員、準楽員、特別契約楽員及び研究員によって構成され(第七条)、楽員として入団しようとする場合には、事務局に入団申込書等を提出し、技能の審査を経たうえ、右審査及び運営委員会の詮衡にもとづき、理事長が入団を決定し、その身分を定めて契約することとなっている(第一六条)。右の楽員との契約に使用される契約書によると、楽員は楽団の行なう放送、定期及び臨時の演奏会、オペラ、バレエの伴奏、地方公演、レコード録音その他並びにそれに附随する練習に運営規程の定めるところにより従事する義務があり(第一条)、これに対し毎月二五日に定額の「基準賃金及びその他の手当」の支給を受け(第二条)、契約の有効期間は毎年七月一日から翌年六月三〇日までの一箇年間であるけれども、期間満了の一箇月前に当事者のいずれかより更新拒絶の通告をしないかぎり自動的に契約が延長されるものとされている(第三条、第四条。なお、運営規程第二二条)。そして、右の服務に関する運営規程の定めをみると、楽員は、あらかじめ事務局より示されたスケジュールに従い、演奏及び練習に一箇月一一〇時間まで従事しなければならず(第二三条)、右の勤務時間については演奏と練習とによって詳細な計算方法が定められ(第二四条)、楽員の休日は一箇月四日以上、年六八日以上スケジュールによって示され、そのうち一四日間は連続して、あるいは二回に分割して与えられるほか、休暇、欠勤、休職、表彰に関する規定もあり(第二五条ないし第二九条の一)、楽員が右規定に違反したとき、又は不正不義その他楽団に損害を及ぼし、楽団の信用を傷つけるような行為があったときは、契約解除、減給、譴責、訓戒等の制裁を受けるものとされており(第二九条の二)、なお、楽員が演奏等のために出張するときは出張旅費規定により交通費、日当、宿泊費を支給され(第三九条)、また、退職の際は別に経理規定の定めるところにより退職金の支給を受けることができる(第三七条)。原告は、昭和三六年二月準楽員として日本フィルに入団し、翌三七年六月退団したもので、その間正式の契約書は作成されなかったが、おおむね以上のような条件で日本フィルの演奏及び練習に従事し、これに対して昭和三七年一月以降同年六月まで月額二万一、〇〇〇円の基準賃金と、三回にわたり合計二万五、四五一円の賞与の支給を受け、このうちから毎月健康保険料、厚生年金保険料及び源泉所得税等を控除されていた。そして、本件係争の日本フィルからの所得は、昭和三七年一月から退団までの間に支給された右基準賃金及び賞与の合計額である。
2、読売日響からの収入について
原告は、日本フィルを退団すると同時に、株式会社読売新聞社との契約により、同社の結成する読売日響に正楽員として入団したものであるが、その契約書によると、原告は同楽団が行なう放送、演奏会、歌劇、バレエの演奏、その他必要な演奏活動に出演並びにそれに附随する練習に従事し(第一条)、「給料」として月額四万五、〇〇〇円の支給を受けること(第二条)、ただし、右給料による演奏回数は六箇月間に六六回の割合とし、月間の最高限度は一三回に限定され、六箇月間の演奏出演回数が右六六回を超えるときは、演奏出演一回につき右給料のほかに月額給料の四パーセントを楽団が支払うこと(第三条、第四条)、東京都外の地方公演の場合は、楽団から原告に対し、一定の滞在費、日当及び運賃を支払うこと(第五条)、楽団は、原告の健康保険及び厚生年金保険の事業主分担掛金を負担すること(第六条)、原告が職務に格別勉励したときは、六月と一二月の二回に賞与を支給すること(第七条)、休日は原則として毎週一日とし、別に年間一〇日間の特別休暇を設けること(第九条)、契約期間は昭和三七年七月一日から同三八年三月末日までとするが、期間満了の二箇月前までに当事者のいずれかより更新拒絶の通知をしないかぎり自動的に延長され(第一一条、第一二条)、契約期間が延長によって満五年以上にわたり、その後に円満退職するときは、給与規定にもとづき退職慰労金を支給すること(第八条)などが定められている。そして、同楽団の楽員就業規則をみると、楽員は、法令、契約及び右規則の規定に従い、かつ上長の命令を遵守して就業すべく(第一条、第五条)、楽団長の許可なくして他の交響楽団の演奏に出演することを禁じられ(第七条)、また、就業時間は楽団長がこれを定め(第八条)、楽員の結婚等一定の場合に一定の特別休暇が与えられる(第一一条)ほかは、出勤、欠勤、遅刻、早退、住所変更等及び公用出張の日程についてすべて楽団の監督に服するものとされ(第九条、第一二条ないし第一八条)、楽員の休職、復職等に関する規定もあり(第二一条ないし第二三条)、更に、楽員が業務上の事由により傷病に罹り、又は死亡したときは災害補償を支給され(第二五条)、なお、一定の場合に表彰を受けることがある反面、業務に関し不正不当な行為があったとき、故意、不注意又は怠慢な行為により楽団に迷惑を及ぼしたとき、契約又は諸規定に違反し楽団の秩序を紊したとき、社会的道徳的に非難すべき行為をし、故意に楽団の名誉を毀損したときなどは、出演停止、休職、賞与金支給停止、契約更新及び延長の停止等の処罰を受けるものとされている(第二六条ないし第三一条)。原告は、以上のような契約にもとづき読売日響の演奏及び練習に従事し、これに対して昭和三七年七月一日以降同年末までの間に同楽団から給料として月額四万五、〇〇〇円及び賞与として四万五、九〇〇円の支給を受け、このうちから健康保険料、厚生年金保険料及び源泉所得税を控除されていたものであり(契約はその後も毎年自動的に更新され、給料も逐年増額されて昭和四二年九月現在月額五万八、〇〇〇円となっている)、右の昭和三七年中に支給された給料及び賞与の合計額が本件係争の読売日響からの所得である。
≪証拠判断省略≫
右認定の事実によれば、原告の日本フィル及び読売日響からの本件所得が原告の危険と計算において経営される事業から生じたもの、すなわち事業所得であるとはとうてい認められず、まさに日本フィル及び読売日響との雇傭契約にもとづき所定の演奏及び練習という労務に服することの対価もしくはこれに準ずる給付として支給されたもので、給与所得に該当するというべきである。原告の右演奏及び練習が音楽家としての芸術的活動であり、その服務についても通常の勤労者のように日々一定の時間拘束されるものではなく、楽団の定めたスケジュールに従う以外は行動が自由であるというようなことは、前記(一)の説示に照らし、原告の日本フィル及び読売日響からの所得の性質を右のとおり認定することをなんら妨げるものではない。
これに対し、原告は、原告が演奏家として活動するのに要する費用をいわゆる給与所得控除額で賄うことは不可能であり、このように類型的にみて必要経費が給与所得控除額を超える職業の者は給与所得者とみるべきでないと主張する。たしかに、≪証拠省略≫を合わせると、原告らのような音楽演奏家は、自己の使用する楽器や演奏会用の特殊な服装等を自ら用意するのが普通であり、また技倆向上のための研究費等も必要であるなどのことから、職業費ともいうべきものが一般の勤労者より多くかかり、それが給与所得控除額を上廻る場合もありうることは否定できないけれども、先に述べたとおり、法は所得の発生態様ないし性質の如何によって所得の種類を分類しているのであり、必要経費の多寡を所得分類の基準としたものとは解されないから、多種多様な給与所得者につき収入額に応じた一定の給与所得控除(これは必要経費の概算控除の意味を含んでいる)しか認めないことの立法政策上の当否はともかく、給与の支給を受ける者の支出する経費が右の控除額を超えるからといって、それだけで給与所得者に当らないとすることはできない。
また、原告は職業野球選手の労務ないし所得と音響演奏家のそれとが類似することを指摘し、通達及び課税実務上職業野球選手の所得がすべて事業所得とされているのに、演奏家の所得がそれと異なる取扱いを受けるのは不平等であると主張する。しかしながら、職業野球選手は球団との契約にもとづきチームの一員として試合に出場し、練習に従事するものであるとはいえ、一般に職業野球の場合には、チームの成績と並んで選手個人の技能と個々のプレーが興味と関心の対象となり、選手が球団から受ける報酬も当該選手の技能の進歩、成績、人気の高低によって大きく左右されるものであることは顕著な事実であって、それはあたかも一般芸能人の出演料などと同様、選手個人が契約に従い自己の責任と計算において提供する具体的なサービスに対する報酬たる性質をもつと認められるのに反し、前認定の事実と≪証拠省略≫によれば、原告ら日本フィル及び読売日響の一般の楽員については、右のような個人的色彩はほとんどなく、その報酬も楽団の定めたとおりに労務を提供すること自体に対して支払われるもので、原則として勤務年数に応じて逐年増額され、生活給的要素を顕著に有する点において、職業野球選手の報酬とは異なることが認められる。このように職業野球選手の所得と原告の日本フィル及び読売日響からの所得との間には税法上の所得分類の見地から重要な差異が認められる以上、他に類似の点があるにしても、原告の右所得を事業所得としなかったことをもって法の下の平等に反するということはできない。なお、原告が昭和三六年以前において同様の所得を全部事業所得として確定申告し、これに対して更正がなされなかったことは被告も認めるところであるが、他に特段の事情が認められない本件においては、そのことのゆえに本件更正を行なうことが許されないと解すべき理由はない。
(三) 次に、原告の日本グラモフォン等からの収入についてみると、右収入が同社等からの随時の個人的依頼に応じて出演したことに対しその都度支払いを受けた報酬であって、原告と同社等との間に雇傭その他の従属的関係がなかったことは原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨により明らかであるから、これを給与所得と解する余地はなく、また、原告の日本フィルもしくは読売日響以外への出演が社会通念上原告の事業といいうるほどの客観性、継続性を具えていたとも認めがたいので、事業所得にも当らず、結局、旧所得税法第九条第一項第一〇号の雑所得であるとするほかはない(同項第一号ないし第九号のその余の所得に当らないことはいうまでもない)。もちろん、日本グラモフォン等における演奏も、原告のバイオリニストとしての活動であるという面からみれば、日本フィル及び読売日響におけるのと格別違いがないが、提供する労務の内容自体が同様であっても、それがいかなる関係において行なわれるかによって所得の種類を異にすることは上来述べたとおりであるから、この点の相違により日本フィル及び読売日響からの所得と日本グラモフォン等からの所得とが別種のものとされるのは当然のことである。
三、原告は、更に、原告の本件所得が事業所得に当らず、給与所得と雑所得とに二分されるとしても、これらの所得を得るのに合計二五万七、八五〇円の経費を要したから、このうち本件給与所得控除額九万六、七二九円を超える分はすべて雑所得の経費として所得金額を計算すべきであると主張する。
しかしながら、≪証拠省略≫によれば、原告が昭和三七年中に株式会社白川総業からバイオリン一台を四五万円、バイオリンの弓を一八万円で購入し、また、バイオリンの弦の張替えに約二万七、〇〇〇円を支出したことは認められるけれども、右バイオリン及びその弓は償却期間の関係上代金の全額を同年中の経費とみることはできないし、ほかに必要経費をどれほど支出したかについてはこれを具体的に確認しうる証拠がない(原告が経費算定の基礎となしうる資料をなにも備えておらず、右原告の主張額も前記バイオリン等の償却額及び弦代に総収入金額の三〇パーセントに当る一四万三、一八七円を経費として加えて計算したものにすぎないことは、原告の自認するところである)。のみならず、仮に原告がその主張のような費用を支出したとしても、そのほとんどが本件給与所得(日本フィル及び読売日響からの所得)と雑所得(日本グラモフォン等からの所得)の双方を得るための共通の費用であって、それぞれの所得に対応する経費がどれだけであるかは全く不明であるところ(この点も原告は認める)、旧所得税法第九条第一項によれば、所得金額の計算上給与所得については収入金額から同項第五号イないしハ所定の給与所得控除額を控除し、雑所得についてはその収入金額から必要経費を控除するものと定められているから、給与所得と雑所得の双方を得るのに要した共通の費用が給与所得控除額を超えるからといって、残額をすべて雑所得の経費としてこれから控除すべきであるということはできず、当該雑所得に対応する経費の額をなんらかの方法によって算定しなければならない。そこで、本件においては、前記のとおり経費の実額を算定する基礎となる資料が存在しなかったので、被告は、「楽士」についてのいわゆる所得標準率により、本件雑所得の収入金額二万二、二一〇円の二五パーセントに当る五、五五三円をその経費と推計したものであり、≪証拠省略≫によって認められる所得標準率の作成方法等を勘案すれば、他に特段の事情がないかぎり、被告の右標準率による推計を不合理であるとすることはできない。してみると、本件の場合は、所得金額の計算につき損益通算を行なう余地はなく、この点に関する原告の主張は失当である。
四、最後に、原告は、本件所得が被告主張のとおり給与所得と雑所得とに二分されたものであるならば、旧所得税法第二六条第一項第一号の場合に該当するから、五万円未満の雑所得を課税標準たる総所得金額に含めて更正したのは違法であると主張する。
旧所得税法第二六条第一項第一号は、一の給与の支払者から給与所得の支払を受ける場合であって、その他の所得の金額(退職所得の金額を除く)が五万円に満たない場合には、総所得金額及び山林所得の金額に対する所得税について確定申告書を提出することを要しない旨定めているが、この規定は、給与所得については所得税が源泉徴収され、年末調整により確定申告による方法に準じて年税額の精算がなされる関係上、他に少額の所得があった場合にすべて申告義務を負わせて重ねて精算を行なうことはかえって煩雑になるので、税負担の均衡を害しない限度で給与所得者の手数を省き、かつ税務執行の簡素化を図る見地から、確定申告書の提出を要しないとしたものである。換言すれば、申告納税制度の下において、右のような給与所得者に対し確定申告書の提出義務を免除することにより、五万円未満のその他の所得につき確定申告書の提出を前提とする徴税手続を進めないこととしたものであって、それ以上に右五万円未満のその他の所得をおよそ非課税とする趣旨でないことは、同法第六条及び同条の二が非課税所得を列挙していることからみても明らかである。したがって、五万円未満のその他の所得を有する給与所得者がなんら確定申告書を提出しないのに拘らず、これについて課税庁が決定処分をすることは許されないが(国税通則法第二五条)、給与所得者がなんらかの理由により進んで確定申告書を提出した場合、たとえば旧所得税法第一一条の四、五、第二八条により雑損控除、医療費控除等の適用を受けるため、あるいは本件のように同法第二六条第二項により過納税額の還付を受けるため確定申告書を提出したような場合には、一般の所得について確定申告書が提出された場合と同様の原則によって、当然右五万円未満の所得も含めて課税標準たる総所得金額が計算され、もし申告書に右所得の記載がなく又は過少であるときは、これを加えて正しきに従った更正が行なわれることとなるのである。それゆえ、右五万円未満のその他の所得が確定申告書の提出の有無に拘りなく常に非課税であるとの原告の主張は採用しがたい。原告は、更に、仮にそうであるとしても、本件では、すべての所得を事業所得として申告したのであるから、前記法第二六条第一項第一号の適用上これを給与所得と雑所得の申告があったものとして扱うことは当事者の意思解釈からしても許されないと主張するが、所得の種類について誤解ないし誤信があったにせよ、それによって原告の本件確定申告書の提出が無効となるものではないし、また、一旦確定申告書を提出した以上、更正によって予期しない不利益を受けることになったからといって、右申告書の提出がなかりしものとするわけにはいかない。前記法第二六条の規定は、確定申告書を提出するかどうかについて納税者の選択を許したものではあるが、すでに右申告書が提出された後においてまで納税者の意思によってこれを左右することを認めたものとはとうてい解されない。したがって、本件更正処分が五万円未満の雑所得を給与所得に加算して課税標準たる総所得金額を算出したことはなんら違法ではなく、原告の主張は採用することができない。
五、以上のとおり本件更正処分の違法事由として原告の主張するところはいずれも理由がなく、他に右処分を違法とすべき点はない。よって、右処分の取消しを求める原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 緒方節郎 裁判官 小木曽競 佐藤繁)